夢プロジェクト第五夢~吉宗で茶碗蒸しを食べたい~

【吉宗(よっそう)】

慶応二年(1866年)から続く創業150年の茶碗蒸し専門店

長崎市の中心部に本店を構え、長崎県民なら誰しもが知っている老舗

 

Y様の夢

「吉宗で茶碗蒸しをたべたい」

当日から遡ること約半年、御家族との外出中に転倒され、骨折はしなかったものの、右大腿部に強い痛みがあり車椅子生活を余儀なくされた。

ケガと同時にここには記すことはできないがとても辛い事があり、涙を流されることも多く、心身共に憔悴していた。

 

もともと朗らかな性格のY様。

デイサービスの皆様の前では笑顔でいられるものの、私と居室で二人で話すときにはいつも涙を流されていた。

Y様と話をすると、改めて自分たちの役割、使命について考えさせられる。

 

【辛い時は辛くていい。涙を流してもいい。無理に元気を出してもらうのではなく、今私達にできるのはそばで生活を支えること】

 

大それたことができる訳ではない。

ましてや、私たちは完全な他人であり、血縁関係もなければ、元々親しかった訳でもない。

本当ならご家族の方、お孫さん、親しい友人など、色々な考え方はあれど、取り敢えず、今できることは全部やろう。

そして、朗らかなYさんを取り戻してもらおう。

動機はそれ以上は不要だった。

 

少しずつ本来のY様に戻りつつあった頃、担当のケアマネージャー(介護保険サービスを調整する方)様から、

 

「車いすから押し車への移行を考えていて、訪問リハビリ(お部屋に理学療法士の先生が訪問しリハビリを行うサービス)の導入はどうだろうか」と御相談があった。

 

私としてはY様の精神状態的にまだ不安はたくさんあったが、みなさまのご協力により週に1回、訪問リハビリを導入することができた。

 

お部屋内でのリハビリはスムーズに行うことができ、次第にスタッフが傍で付き添えば数M歩行をすることができるようになっていった。

お部屋の中での移動が可能になると、次はお部屋から15M程離れた食堂までの歩行訓練を行って頂いた。

訪問リハビリと同時に私が所属するデイサービスでは、お部屋からデイサービスまでの距離約30Mの歩行をスタッフが付き添いで行うことにした。

 

歩行の状態が改善すると、精神面でも変化が見られ、お部屋の中でも前向きな言葉を話されるようになった。

 

押し車の使用にも慣れ、デイサービスでの移動も車いすが不要になり、お部屋に訪問してのリハビリは終了になった。

 

その後は訪問リハビリを卒業され、日常生活の中で少しずつ歩く練習を行っていった。

転倒されることなく、意欲的に歩行訓練を行ってくださった。

3ヶ月経った頃には押し車も不要になり、杖歩行で館内を自由に移動することができるようになっていた。

 

【辛いことがある中、ここまで元気になって本当によかった。これからは前向きに生きて欲しい、何か夢を引き出すことはできないだろうか】

次第に私はそう思うようになり、いつも一緒に冗談を言って笑いあっていたY様が特に心を許されているスタッフに夢を引き出してもらうようにお願いしてみた。

 

 

事情を話すと、そのスタッフはすぐに動いてくれ、その日のうちに夢を引き出すことができた

 

「長崎の吉宗で茶碗蒸しを食べたい」

これがY様の夢だった。

なぜ吉宗がいいのか、理由は当日にわかることになるのだが、とにかく私は嬉しくて仕方なかった。

 

【半年前にはあんなに辛い事があり、涙を流していた方がこんなにも前向きになれるなんて】

 

御家族も快諾してくださり、その日からすぐに計画開始。

 

緊急時の受診先、近隣の駐車場、当日の所要時間、店内の座席の確認、店内のお手洗いの環境、階段の有無、言い出せばキリがないが、考えられる全ての可能性を徹底的にリサーチし、Y様と入念に打ち合わせを行った。

 

 

よく介護施設では外出レクリエーションでお花見やお食事に行くことはあるし、私自身、介護を初めてもう9年になるため、数えきれない程の外出レクリエーション機会を経験させていただいた。

 

だったら、なぜそこまで細かく調べ上げるのか?

 

それは私が今まで行ってきた外出レクリエーションとこの夢プロジェクトに関しては根本的にスタンスが全く違うからだ。

 

私の今までの経験では、皆様が安全でかつ季節感を感じていただくために

スタッフが行く場所をピックアップして実行する”というやり方だった。

予め知っている場所や行ったことがある場所の為、概ね外出先の情報が頭の中に入っている。

もちろん、そこに本人の意思が働くことは無い。

決められた場所に対し、行きたい人は挙手して、決められた時間に決められたメンバーと決められた行動を共にするという窮屈なものだった。

そこには誰しもが持つ自由という概念が無い。

 

一方夢プロジェクトは

御本人の意欲を引き出し、夢を聞き出し、どんな課題があっても必ず実行する

たとえ、“行きたい所が海や山のような危険な場所だとしても”。

 

そして、何よりこの活動を継続するためには

【絶対に事故や体調不良を起こさない】ことが絶対ルールだと私は思っている。

 

もし1回でも実行した後に体調を崩したり、実行中に転倒や事故を起こしてしまったら

もう2度とこのような取り組みはできないと思っている。

 

だから出来る限り情報を収集し、何度も入念に打ち合わせを行う。

必要であれば下見にも行くし、現地の動画を撮影し御本人様に見てイメージを膨らまして頂くことだってある。

それが日々のリハビリや意欲向上、つまりメンタルの維持に繋がるからだ。

計画から実行まで1ヵ月あるとしたら、一番難しいのはご本人様の「最初の打ち合わせ時のモチベーションを決行前日まで維持すること」というのを痛いほど学んできた。

 

話はそれたが細かく計画を立て、いよいよ夢実行当日の日

 

普段お目にかかることのできない綺麗な洋服を身に纏い、こぼれるような笑顔でお部屋で待っていてくださっていた。

 

計画の段階から私はお留守番役を自ら名乗り出た。

もちろん夢達成の瞬間を一緒に迎えたかったが、いつもY様に関わってくれた女性スタッフと最高の思い出を残してほしかった。

 

《ここからは私ではなく同行した女性スタッフの言葉である》

出発の時、「行ってくるよー」と笑顔で手を振りながら出発。

 

 

車内では普段話さないような昔ばなしをたくさんしてくださり、ただただ、笑顔がはじけていた。

 

車内のテンションは最高潮に達し、宴会のような盛り上がりだったそうで、終始歌を歌いながら現地まで向かった。

 

テンションが上がり過ぎて到着するころには少し疲れていた(笑)

 

吉宗と山口ケサヨ様

 

駐車場からお店までは約50Mあり現地につくまでは歩行が安全にできるか不安だったが、Y様自ら「お店まで歩く!!」とお話してくださり、右手に杖を持ちスタッフが左側に付き添い脇を支え数年ぶりの浜の町(長崎県一番の商店街)を意気揚々、自信満々に歩かれていた。

 

いよいよお店で実食の時

メニューは定番の大きい丼の茶碗蒸しと押し寿司のセット

 

 

「懐かしかー!何年振りに食べたやろか!昔はここらへんで民謡舞踊を教えよったと。」

「その帰りに教え子たちとよく来よったとよ、懐かしか。ほんと懐かしか」

 

この時に初めてなぜ吉宗がよかったのか分かった

若いころを思い出すようにお話してくださった

 

その時の表情は

今までY様に関わらせていただくなかでは見ることが出来ないほど忘れられない表情だった。

 

最高の表情

 

しっかり完食され店内を出ようとしたその時の出来事だった。

先ほど話されていた踊りのお弟子さんたちと偶然の(奇跡の)再会!

<昔、Y様がやっていたこと>

時代は流れ、時は経ち、当時の教え子さんがY様と同じように今のご自身の教え子さんを連れてくる場面に遭遇したのだ。

きっと、今でも稽古の後に教え子と吉宗で昼食をたべる伝統は無くなっていないのだろう。

 

まさかお話していた方々と通い続けていたそのお店で再会できるなんて、人と人との御縁は本当にあるんだなと感じることができた。

 

それからお互い時間を忘れ、昔話に花が咲き、30分ほど楽しそうに談笑されていた。

 

帰りの車内でもテンションは最高潮。

もちろん、歌をずっと歌われていた。

 

そしていよいよ施設に着く直前に御本人からこんなお話が

 

「さあ次はどこに連れて行ってもらおうかな、なんばしようかねー」

 

なんと次の目標を自ら探されていた。

 

半年前、涙を流し「辛い、辛い」と生活されていたY様。

もちろん忘れることなんて無理な話だろう。

それでもしっかりと辛い現実を受け止め、前に進み、生きる意欲を生みだした。

 

そして何より、人生を心から楽しんでいるY様がそこにいた。

 

その日はよほど疲れたのか良く眠られていたそうで、

 

翌日感想を伺うため私が話かけると

 

「よし決めた!次は歌劇を見に行く!」

 

まだ叶えた夢は一つだけ。

人生はここからだ、そう言わんばかりにY様の顔は希望に満ち溢れていた。

 

 

新たな夢を心に決めY様は今日もスタッフと笑いあっていた。

山本 竜馬

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