夢プロジェクト第十二夢~鷹島にお墓参りに行きたい~

「鷹島のお墓に行きたかとよ~」

 

<鷹島:長崎県北部にある人口2千人余りの離島。数年前に橋が架かり、車で行き来することができるようになった>

 

ある日、M様は僕に話してくれた。

「もちろん、行きましょうよ。」私は即答した。

「え?ほんとにいいと?今まで誰に話しても相手にしてもらえなかったとよ」

この言葉を聞いた瞬間、私は胸が張り裂けそうになった。

 

【今までは夢を引き出すことが難しく、生きる意欲を引き出すことに苦労していた。そしてそんな中でも夢を引き出すことがスタッフのやりがいだと思っていた。だけど、今まで関わってきたスタッフが本人の意欲を押さえつける形も現実にあるのかもしれない】

 

M様はご主人のT様と一緒にジャストインケアの施設に入所されている。

いつも夫婦二人で一緒に過ごし、仲睦まじい姿にいつも私は夫婦のあるべき姿だと勉強させていただいていた。

まずはご家族様に夢プロジェクトの経緯を説明し、今回のお墓参りの夢を実行していいものか確認の連絡を行った。

「実は私達家族も母からお墓参りの事をいつも言われて気になっていたんですが、距離も遠く、介護をできるのかが不安で困っていたところだったんです。ご迷惑でなければぜひお願いしたいです。」

そういっていただき夢プロジェクト実行が決定し、M様とT様に報告した。

 

その日から夢達成に向けてM様T様と私とのプロジェクトがスタートした。

 

まずは計画から。

いつ、どのルートで行くのか、など細かいことも決めていった。

 

夢プロジェクトの夢の中で実は“お墓参り”は一番人気なのだが意外にも難易度が高い。

まずは場所、自宅や公共施設、お店とは違いネットでは場所を割り出すことがほぼ不可能に近い。

よってご家族や本人から聞いた情報を元に場所を割り出さなければならない。

それでも下見に行くことが不可能な距離にあるお墓は当日までどこにあり、坂道や階段などの障害物があるのかどうかの情報も不鮮明な事も多く夢達成まで緊張の連続なのである。

 

今回は施設から高速を使い車で2時間半もかかる、かなりの遠距離だったため下見は断念した。

いつもより綿密に計画を立て、M様とT様にたくさん話を聞き情報を集めていった。

そんな中、お墓参りの計画を経てている時に今まで聞き出すことができなかった、たくさんの人生が見えてきた。

M様、T様は鷹島で出会い結婚したこと。

お互いの実家が今でも鷹島にあり実家にお住まいのご兄弟がたまに面会に来てくださっていること。

お互いのお墓も近所にあり車で五分ほど走ったところにあること。

 

M様が鷹島に行くなら実家のお姉様に挨拶に行きたいと希望された為、連絡先を伺い、すぐに電話を入れ、お墓参りに行くこと、実家に遊びに行きたいと思っていることを告げた。

「そうですか!ぜひいらしてください。それでしたらお昼は家で食べていってくださいよ」

と、まさかの昼食までご馳走していただけることになった。

嬉しくなりすぐにM様とT様に報告に行った。

「知ってるわよ、さっき私の携帯に連絡があったから。でも楽しみ。姉は料理が本当に上手だから」と若干あっけない反応ではあったのだがM様も喜んでおられた。

 

計画は着々と進んでいたが、細見で小食のご夫婦の体力がもつのかが一番の心配だった。

計画の話を進めている中で私はMさんとTさんにある話をした。

「Mさん、Tさん鷹島までは車で早くても2時間半かかります。休憩を入れると約3時間です。一つ約束をしていただけますか?」と尋ねた。

「どうしたの山本くんそんなに改まって」とM様。

「いいですよ。なんでも約束します」とT様。

「お二人が夢を達成するために一番必要なのは体力です。私は当日のスタッフの確保や関係者様への連絡、車両の手配等全力で頑張りますのでお二人もきちんと食事を召し上がり水分もきちんと摂取してください。そして定期的に運動や入浴も行う事、そこを約束していただきたいんです。」

実はM様T様、夫婦でいる時間が長いためいつも同じようなライフスタイルで生活されていた。食事は互いにあまり食べず水分も少ない。入浴もあまり好んで入られず、運動はほとんどされることがなかった。

週に2回通っていただいているデイサービス(高齢者が昼間に通い入浴、食事、運動等のサービスを受ける場所)では私たちが頭を悩ませる場面が多かったのだ。

「なんねーそれぐらい簡単たい。」とM様。

「はい、いいですよ。」とT様。

あまりにもあっけなく約束してくれたので疑心暗鬼ではあったのだが二人を見守ることにした。(影でスタッフに入浴を断られた場合は山本との約束を切り札にしてとは話したが(笑))

なんとか食事量も向上し水分も少しずつ摂取してくれるようになった。

運動や入浴にバラツキはあったものの以前に比べると確保できるようになっていた。

 

デイサービスに通ってくれるたびに、お墓参りの話をした。

今までの人生の話をたくさんしてくれた。

学校の先生だったこと、T様は生徒に慕われいつも家には生徒や卒業生が遊びにきて賑やかで毎日楽しかったこと。M様は生徒に美味しいごはんをご馳走する忙しい毎日だったこと。実家のお姉さんは優しくて、今でも実家に残り、実家を守っていること。

たくさんたくさんご夫婦の人生を知ることができた貴重な時間になった。

 

そしていよいよ当日。

朝9時に出発。

コンビニでコーヒーやお茶を購入し高速道路に入る。

1時間程すると大型のサービスエリアに停まり、お姉さま家族とご友人に渡すお土産を購入。

1.お土産購入

そのまま高速を走り1時間半ほど走ったところで下道をまた1時間ほど走る。

 

M様はこの日をずっと楽しみにしていたのか笑顔がはじけていた。

T様は物忘れが進行しており、度々「今からどこにいくとかな?」と不安そうにされていたが、その都度奥様が説明してくださっていた。

 

施設を出発してから約3時間。鷹島肥前大橋を渡りいよいよ鷹島に到着した。

 

橋の上ではT様も「おー!鷹島に来たとか!懐かしかなー!」と眼下に映る綺麗な海を眺めながら喜ばれていた。

そのまま島内に入り、M様がずっと会いたいとお話ししていたご友人夫婦の自宅を訪ねた。

事前に連絡をしており、遠路はるばる会いに来てくれたM様とT様との再会に言葉が見つからない様子だった。

ご友人はただただ「よう来たね、よう来てくれたね。」と感激されていた。

 

M様もT様も感動の再会を果たし満足気な様子だった。

そして次はお姉さまのご実家に向かった。

ご友人と予定より長くお話しされていた為、お姉さまは今か今かと待ちわびていただろう。

 

ご実家に到着すると感動の再会かと思いきや、挨拶もそこそこにM様とT様は奥の間にあった仏壇に向かった。

しかしその姿に不思議と私は違和感を感じることはなかった。

 

【お姉さんの自宅に遊びに行く。その時には、まずお仏壇に買ってきたお供え物をそなえ、ご先祖様に手を合わせ、挨拶をする。この姿が本来の当たり前の姿、それが今では身体が不自由になり少しの間できなくなってしまっていただけなんだ。】

3.仏壇に手を合わせる

お仏壇に挨拶を済ませ部屋に戻ると、朝早くから準備をして下さっていたのかテーブルの上には乗り切れないほどのご馳走が準備されていた。

鷹島の新鮮な海の幸が並び、お姉さま自慢の手料理が何品も並べられていた。

「おほー、ご馳走ご馳走。姉さんありがとね。」とT様。

「気使わせてごめんね。ありがとね」とM様。

私と同行していたスタッフ2名も一緒にお食事をご馳走になった。

食事をいただきながら感じたことがあった。

 

【これも人生の当たり前の姿、ご兄弟の家に遊びに行ってお食事をご馳走になる。それがいつの日からかできなくなってしまった。でも今日また僕たちの支援で取り戻すことができた。今日の日を迎えれて本当によかった】

 

そんな感傷に浸っているとT様の元生徒さんがT様が鷹島に聞いていることを聞きつけ挨拶に来て下さった。

突然の出来事にT様は驚きをかくせないようだったが、数十年ぶりの再会を喜ばれていた。

 

そうこうしてる間にお墓参りに行く時間になり、お姉さんに道案内をしていただき、まずはM様のお墓に行く事になった。

普段あまり歩こうとされないM様だがこの時ばっかりはご先祖様の手前しっかりと足を上げ舗装されていない道をスタッフの付き添いでしっかりと歩かれていた。

何回も何回もご家族やスタッフにお墓参りの夢を話していたM様、いつの日か諦めかけていた夢“鷹島にお墓参りに行く”、いよいよ夢を叶える瞬間が来た。

墓前に立ち、顔を上げ手を合わせた。

5.奥様合掌

その間数十秒だっただろうか、一言も口を開くことなくただ手を合わせ続けていた。

心の中でご先祖様に何を語り何を報告したのかは誰にもわからないが、数年ぶりにお墓に来ることができたことを実感していたのは確かだった。

そして目を開けると「はーよかった。ホッとした。」と一言だけ話し、次はT様のお墓に向かった。

その間もT様は「今日は何でここに来たとかな?」と尋ねておられた。

しかしT様のお墓についた瞬間

「ここは俺の墓やっか。そうか。そうやったとか。来れたとか。よかった。よかった。」と大粒の涙を流し車を降りてからしばらく動くことができなかった。

 

【もしかしたら、M様よりもT様の方がお墓参りをしたかったのかもしれない、ご主人の気持ちを奥様は代弁していたのかもしれない。】

 

そう感じながら、T様の気持ちが落ち着くと数段の階段をスタッフの支えで昇り、墓前に立ち手を合わせた。

そしてM様とT様とお姉様三人で昔ばなしに花を咲かせていた。

「ここの墓はだれが建てたとやったかな。」

「ここは○○さんが建てたとよ。」

「いやーいつ見ても立派なお墓やなー数十年ぶりに来たよ」

「そいはお父さん言い過ぎよ、数年ぶりに来たと!」

「いやー今日は来れて良かった。ずっと気になってたとよ。ほっとした」

とりとめもない会話だったが私にはとても意味のある、また尊いものに感じることができた。

無事にお墓参りの夢を達成することができた。

自然と私の胸に、ぐっと込み上げるものがあった。

 

帰りにはお姉様からはお土産にと新鮮なサザエを20個ほどいただき、道の駅で購入されたお茶菓子までいただいた。

 

帰りの車内、ご夫婦は口をそろえて「ほっとしたね。よかった。よかった。」と話されていた。

そしてよほど疲れたのか夫婦肩を並べて眠られていた。

 

施設に到着し、体調も良好。何1つ問題なく夢を達成することができた。

 

当たり前を取り戻せなかった日々、それは私たち介護スタッフにも必ず責任の一端はあると断言できる。

 

特別なことはしなくていい。当たり前に実家に帰り当たり前にご家族とご飯を食べて、当たり前にお墓参りをする。

 

それは私たち介護スタッフが本気になって取り組めば必ず達成できること。

そして達成した瞬間は苦労が瞬く間に感動に変わる瞬間だった。

 

こんなにも当たり前が尊いものと感じることができたのはT様とM様がいて下さったからだろう。

 

本当に達成できてよかった。

T様、M様。また行きましょう!

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