「お客様の夢・やりたいことを叶える」
T様の夢「原爆で亡くなった広島の叔父のお参りに行きたい」
T様86歳。
股関節や腰の痛みが原因で自宅での生活が困難になったため「ジャストイン諫早」に入居。
穏やかな性格で、お話し好きな、笑顔が素敵な女性のお客様。
現在は車椅子で生活しているが、自分で車椅子を動かすことができ、身の回りのことは基本自分で行っている。
7月中旬の夕食前、T様から「広島に行きたい」と声をかけられた。
私が「どうして広島に行きたいんですか?」と尋ねると、T様は
「とてもお世話になった広島の叔父が原爆で亡くなったの。だけどいろいろあってお参りができなかったから、お参りに行きたいの」
ということであった。それからさらに詳しくお話しを聞いた。
T様は滋賀県で生まれ、3歳の頃にお母様が亡くなり、その後お父様も亡くなった。
早くに両親を亡くしたT様は祖父母に育ててもらったそうだ。
両親を亡くしてからは広島に住んでいた叔父が頻繁に祖父母のところへ訪ねてくれるようになり、T様も広島へ遊びに行かれるなどとてもかわいがってくれていたそうだ。
その後、お母様の実家である北九州に引き取られ、親戚の仕事の手伝いをして過ごしているときに、広島の叔父が原爆で亡くなったとの話を聞いたそうだ。
戦後の暮らしが忙しく、なかなかお墓参りもできずに時が過ぎてしまったという。
子供の頃にかわいがってくれた叔父さんに最後にお参りしたい。
”ちゃんとお礼を言いたい。”
「この夢は絶対に叶えなければいけない」
私はそう心に誓った。
最初にこの3つから取り掛かった。
◆広島までの最短ルート及び所要時間を調べる
◆広島といえばお好み焼きなので昼食は車椅子でも入れるお店の選定
◆緊急時に備え、高速IC付近の病院を全てリストアップする
T様にお好み焼きの話をすると「お好み焼きも食べられるの?」と嬉しそうしていた。
次に、参拝時だけでも車椅子を使用せず歩いて参拝してほしいと考え、T様了承のもと訓練を開始した。
まずは、住宅の廊下で10mを2往復。
そこから20m、30mと距離を伸ばしていき、最終的には住宅の駐車場で歩行訓練を実施する計画だ。
7月下旬より歩行訓練スタート。
最初は歩くことに対して恐怖心や不安を口にしていたT様。
しかし、1歩目が出たと思ったらスイスイ足を交わし、あっという間に10mを歩ききった。
その後も歩行訓練を続けていると、T様から「肩に力が入って不格好な歩き方ね。」と歩行姿勢まで気にされるようになってきた。
以前は歩くことで精一杯だったのに、今は姿勢まで気にされ、恐怖心や不安を口にすることも減ってきた。
私は【夢を実現する為なら、人は変われる】ということを目の前で体感することができた。
T様が歩行訓練を頑張っている中、私は広島行きの綿密な計画を立てていた。
道中休憩するSAの選定、休憩時に行う軽い体操、必要物品のリストアップ、職員の調整など万全の態勢で出発できるよう準備を行っていった。
そしていよいよ当日。
朝6時半ごろT様の部屋を訪問すると前日に選んだ服を着て、準備万端の状態で待ってくださっていた。
普段は声掛けをしてから準備を開始するT様だが、この日を楽しみにしていただいていたことを感じた。
朝食をとりいざ出発!最初の目的地は基山SA。
車内では初めての遠出ということもあり不安を口にすることもあったが、同行の職員と歌を唄われるなど笑顔も見られ、徐々に不安は解消できていったようだ。
8時30分基山SAに到着しトイレ休憩と軽い体操を実施。
その後もう1か所SAで休憩し、13時に広島市内へ到着した。
まずは、腹ごしらえ。
予約していた店に行き、T様は海鮮スペシャルというメニューを選ばれた。
店内にはおいしそうな匂いが漂い、鉄板に当たるコテの音が響き渡る。
出来上がりを目の前にT様は「おいしそう」「食べきれるかな」と話されながら笑顔を見せてくれた。
食べ始めると「こんな鉄板の上で食べるのは初めて」と大変喜ばれていた。
そしていよいよ広島平和記念公園へ。
駐車場から平和記念公園への移動時は楽しそうに話していたが、慰霊碑に近づくと、さきほどまで見られていた笑顔は神妙な顔に変わり緊張感が漂う表情になっていった。
最終目的地の慰霊碑へ到着。
私は、T様が歩くことができるか心配でたまらなかった。
しかし、その心配は不要だった。
車椅子の前に歩行器を用意し、スタッフが声をかける。
T様は訓練通りの要領で立ち上がり慰霊碑へと1歩ずつ踏み出した。
ゆっくりではあるが1歩1歩しっかりした足取りで慰霊碑まで進んでいく。
慰霊碑の前まで進むと長い年月、抑え込んでいた感情が溢れた。
その後もT様は慰霊碑へ語り掛けた。
「この方々がここまで連れてきてくれました。
最後に会うことができて本当にうれしいです。
ありがとうございます。ありがとうございます。」
と。
車椅子へ戻り、しばらく慰霊碑の前でT様の思い出話を聞くことができた。
記念撮影をしたT様の顔には不安や緊張から解放され安堵の表情が戻った。
その後原爆ドームを見学し帰りの帰路についた。
帰りの道中も、関門橋を見て驚かれ、普段見ることのできない陽が落ちる様子や雲から見え隠れする月を見て「部屋からはこんな自然の様子は見ることができないからうれしい。
広島にも行くことができたし、素晴らしい景色も見ることができてよかった。」
と素敵な笑顔で話されていた。
20時30分無事に施設へ到着。
T様は体調も良好、スタッフも無事に今回の計画を達成できよろこびと安心感でいっぱいだった。
T様が思い描いた“夢”
その“夢”が
歩行訓練へ前向きに取り組む為の力になった。
その“夢”が
日々の生活に刺激を与え、体調を崩すことはなかった。
その“夢”が
精神的支えになり、心身の安定に働いた。
その“夢”が
実現したときにしか見ることのできない表情が、そこにはあった。
その瞬間に立ち会わせていただき、言葉では表現できない色々なものを教えていただいた。
そこには、とても言葉では表現できない特別なものがたくさんあった。
私たちは、一人でも多くのお客様の“夢”の実現に向けて進んでいこうと改めて心に誓った。
記・川口智野