『認知症だから想いを伝えることはできない』
『車いすの方だから夢をもつことは許されない』
執筆者の私自身そんな悲しい言葉をよく耳にしたことがある。
今回の夢プロジェクトはそんな悲しい言葉を真っ向から否定することができた
かけがえのないプロジェクトになった。
I様は他の施設で過ごしていたが、度重なる転倒によりジャストインケアにお引越ししてこられた。
お部屋は一人部屋の為、寂しがりなI様はいつも手を叩いて誰かがくることをお部屋で待っていることが多く精神的にも不安定な状況だった。
お昼間は一人で寂しくないようにとケアマネージャー様(介護保険サービスの導入、調整を行う専門家)に毎日デイサービスに通えるように調整してもらい、デイサービスの利用が開始した。
そこで私と初めて出会ったのだ。
デイサービスは時間の流れが速く、I様にさらに孤立感を味わわせないようにスタッフがこまめに声掛けを行うことにした。
しかしやはり限界がありデイサービスの中でも手を叩き「だれか!来てください!」と大きな声で叫ぶこともしばしばあった。
それだけじゃなく水分不足(体内の水分が1%=約250ml失われるとイライラ・ウトウト・ボーっとするなどの意識障害が出現すると言われている)の症状が顕著にみられていた。
簡単に言い換えるとI様はいつもイライラしていた。
スタッフがそばから離れると怒り、近くに行っても怒り。
時には突然涙を流すこともあれば空想が現実のように見えることもあった。
I様にとっては本当に辛い毎日だっただろう。
私たちはI様が半年後に夢を叶えることはおろか、夢を語ってくれるところすら想像ができなかった。
でも諦めない。
デイサービススタッフ全員が彼女から目を逸らすことはなかった。
I様の状態改善のチームを発足し、
① 水分摂取チーム
② 食事摂取チーム
③ 外出支援(機能訓練)チーム
3つのチームでそれぞれケアを行うことにした。
私は全てのチームに所属し、統括的立場でご支援することになった。
まず始めに不足している水分摂取のケアを開始。
お水、お茶、コーヒー、ジュース、ゼリーなどI様の持病に悪影響がでないように御家族様と相談しながら毎日毎日水分摂取量の向上に努めた。
しかし、単に水分摂取向上とはいえ簡単な道のりではなかった。
「I様は甘いものが大好きだからコーヒーはよく飲まれていた、でもコーヒー以外はほとんど飲まなかった。コップを変え、見る景色を変え、リハビリの前後には必ずお茶をお出ししたりとか、本当に少しずつ少しずつ水分摂取量が増えてきたのを覚えている」
当時の水分摂取チームは当時を思い返しながらこう話してくれた。
入居当時は毎日の水分摂取量が平均600mlだったが、
水分摂取のケアを開始して、1ケ月後には平均1500mlを達成した。
1日の平均水分摂取量を1ℓ近く向上することがいかに難しいか、それは自分自身で置き換えてみるとわかるのではないだろうか。
それをたった1ケ月で水分摂取チームを中心にやってのけたのだ。
水分のケアには即効性があると言われている。
効果は一目瞭然だった。
スタッフを呼ぶ回数が減ることはなかったが精神面での安定がみられイライラされることはほとんどなくなったのだ。
次は精神的な意識が内面になってしまっているので、外出支援チームが意識を外に向けるために毎日外出(人が出来るだけ集まるところ)の支援を行うことにした。
外出支援チームから報告がありお声掛けするのはいいが、
外に出かけると「どこに連れて行くとねー!」と激怒されることが度々あったそうだ。
もちろん私も同じ経験をしたことがあった。
すぐに私は御家族に相談し、スーパーで週に1回大好きなお菓子やパンを購入できないか聞いてみた。
もちろん了承してくださり、I様も目的がはっきりすると少しずつ拒否されることがなくなり毎日人が集まるところに楽しんで出かけることができた。
そしてこれもまた一目瞭然。
一か月後にはスタッフを呼ぶ回数が入居当時に比べ75%削減することができた。
この時点で入居からはや三ヶ月が経過していた。
暖かくなってきた3月頃のとある日、
I様が幼少期の頃に亡くされたお父様の事を話してくれた。
「私のお父さんはね、私がまだ子供のころに亡くなったとよ。だからお父さんの思い出はあんまりなかとけどお墓参りに昔は良く行きよったと、ずっとこれぐらいの壺の中に一人でいるとよ。」
私はすぐ答えた
「いきましょう!お父さんに会いに行きましょう!」
そしてまた話してくれた
「行きたい お父さんに会いたい」
あれほど精神的に不安定だった方が夢を話してくれた。
私にとっては初めてのお墓参りのご支援であり、わからないことだらけだったが断る理由が見つからなかった。
ご家族にも事情を説明し快諾してくださった。
ここまでは絵に書いたようなストーリーだった。
しかし、ここからが長かった…
実行日当日、同行スタッフの中原さんと大村さん(以下同行スタッフ)と下見に行き課題を抽出してみると大きな課題があったのだ。
お墓の近くまでは車で幅寄せできるのだが、そこから5M程歩かなければならなかった。
今まで水分のケアや意識を外に向けるケアを重点的に行ってきたため、身体的なリハビリを行ったことがほとんどない状態だった。
でもそんなことは言っていられない。
課題が明確にわかっているのであれば解決すればいいだけの話。
リハビリの担当スタッフも一緒に下見に同行していた為協力を依頼し、翌日からさっそく押し車を使用して歩く練習を開始した。
この頃には入居してすでに4カ月が経過していて、以前お住まいだった施設で転倒をきっかけに歩けなくなったため少なくても半年以上は歩いていなかった。
介護業界ではよく歩けない原因は『筋力低下』と言われているが、実はほとんどの原因はこういった長い期間歩いてないことによって起こる、『歩き方を忘れてしまう』ことにある。
よって歩けるようになるためには筋力トレーニングではなく、立った状態で足を前に踏み出す動作、いわゆる【歩く動作を思い出す】訓練を毎日行うことが必要になる。
もちろん安全面には徹底的に配慮し3人態勢で行っていた。
最初はほんとに1歩2歩程度しか歩けなかった。
足は交差し、上半身が前のめりになることもあった。
外出支援機能訓練チームは毎日毎日I様にお声掛けした。
チームスタッフは当時を振り返りながらこう話してくれた。
『とにかく最初は足を前に運ぶ動作が出来ずに苦労した、立ち上がるまではできていたが
そこからの1歩がなかなか前に出ない、その後もスムーズに前に進まなかった』
それが1週間すると歩く動作が身についてきたのだ。
歩行距離は1Mが5Mに、1週間経過すると、5Mが10M歩行できるようになった。
結果、押し車を使用した状態ではあるが最大25M歩行できるようになったのだ。
全てのチーム、そして全てのスタッフがI様のケアに携わり状態改善ができたことに喜びを感じていた。
気付くともう5月になっていた。
でもI様の夢がぶれることはなかった。
いよいよ夢実行日。
同行スタッフと朝居室にお迎えに行くとしっかりとお墓参りに行く事を覚えておられ、本当にお父さんに会いに行ける嬉しさから大粒の涙を流されていた。
「やっと行ける、お父さんに会える。これぐらいの壺にお父さんは一人でおると、寂しかとよ」
その姿に私は胸がぐっと締め付けられ、目頭が熱くなっていた。
隣にいた同行スタッフも目もとから流れ出るものをこらえるのに必死だったそうだ。
嬉しくて仕方なかったのだろう。
絶対に成功させよう。
きっと同行するスタッフも同じ想いを抱いていたはずだ。
いよいよ出発の時。
今回も私は急用の為当日の朝に不参加になり、断腸の思いで他の方に同行スタッフの席を譲った。
お見送りしかできなかったが、現地での様子を細かく同行スタッフが教えてくれた…
《ここから現地での様子は担当スタッフの言葉をもとに表現した内容である》
まずは、お墓参りなのでいつもお買い物に行っていたスーパーに立ち寄りお供えするお花を購入。
お墓は施設から車で15分程走ったところにあるためすぐ現地に到着した。
ここまでは何の心配もなく成功。
いよいよお墓の敷地まで歩く瞬間がやってきた。
同行スタッフ3名、現地に来て頂いた息子様、緊張の糸がピンと張りつめていた。
そんなことは知る由もないI様はいとも簡単に墓石の目の前までスタスタ歩いて見せた。
はやくお父さんの墓前に行きお参りしたかったのだろうか。
その本心はわからないが、しかしごく当たり前にお墓に向かって手をあわせるその姿は
以前のI様となんら遜色ないほどだっただろう。
お花をお供えし、お線香に火をつけて、目閉じて手を合わせる。
念願のお墓参りを達成した瞬間だった。
十何年ぶりにお線香を立てる姿はぎこちなく、スムーズにいかなかったが
もしかすると失敗しないようにと一生懸命にお線香を立てていたのではないだろうか。
その日は風も強く気温も低かったため、長い時間いることはできなかった。
そのあとはお墓参りの後に良く行っていたcoco壱番屋に行きいつも頼んでいたカツカレーを食べ、帰路に着いた。
入居してから半年、最初は精神的に不安定な毎日で夢を叶える日が来るなんて想像できなかったが、きちんと水分摂取や外出支援で生活習慣を整えることで不可能を可能に変えることができた。
もちろんそれは私一人では到底なしえなかった事だろう。
上司やチームスタッフの協力があり、御家族様が快く了承してくださり、そしてI様が夢を叶えようとする想いが成し遂げることができた最大の要因だっただろう。
何より普段の業務では感じる事のできない達成感を得ることができた。
I様の夢に関わらせて頂けて本当によかった。
I様
またお墓参り 行きましょうね。
山本竜馬